鯨の森

鯨の森

大通は火防線として設定されたことは間違いなく、当然樹木も伐採されて空き地にされてしまったようです。当時の大通はせいぜい今の7丁目までで、それより以西には街並みもなかったことから、樹木の伐採はそこで止まってしまったことが考えられます。

また現在の石山通付近の10丁目から12丁目は、屯田兵の練兵場になっていたので、当然樹木は伐採されていました。このため、8丁目9丁目あたりだけが、両側から切り残されて樹木がこんもりと残ってしまったようです。これが遠くから見ると鯨の背中のようなことから、この森のことを『鯨の森』と呼ばれることになったようです。

現在の9丁目にはハルニレの大木がたくさんありますが、これらはほとんどが深植えになってしまっているそうです。つまりこのあたりはもともと低地で、じゅくじゅくと湿った場所だったために、湿った場所を好むハルニレが茂っていたものでしょう。札幌の町にはかつて幾筋もの河川が流れていましたが、都市化が進むにつれてすべて無くなってしまいました。東西の通りも、かつてはそのような凸凹を乗り越えていたのでしょうが、それを真っ直ぐにしていく過程で、低みに土を盛って高くし、平らにしていった訳です。

平成最初の再整備の時に、9丁目のハルニレと6丁目のケヤキについては、一度回りの土を掘りあげて、根に十分な酸素が回るような工夫がされています。このような目に見えない技術で、これからもこのような樹林が維持されていくことでしょう。

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監修:(有)緑花計画 笠康三郎

(参考:「札幌古地名考」小川高人、北海道建築士会HPより)

目次一覧

  1. 大通公園の歴史と植物トップ
  2. 札幌の町の誕生
  3. 火防線から後志通、そして大通
  4. 大通(後志通の土地利用の変化
  5. 鯨の森
  6. 豊平館の誕生
  7. 豊平館のなごり
  8. 大通花壇史(その1)
  9. 大通花壇史(その2)
  10. 大通花壇史(その3)