大通花壇史(その1)

大通花壇史(その1)

大通公園といえば、華やかな花壇を思い浮かべる方も多いと思います。広々とした平らな大通公園には、芝生と花壇と噴水などの組み合わせが本当に似合うのです。

大通と花の組み合わせは、なんと明治9年の大通花草園の時代まで遡るのですが、実際にはどのようなものだったのか伝わっておりません。明治34年に大通逍遙地が設定されたあと、公園的な整備が少しずつ進められていましたが、明治40年に民間人である小川二郎が、自費で大通を耕して2丁目から4丁目にかけて芝生を造成し、花の苗を植えて花壇を造成しています。

小川二郎は札幌農学校の11期生で、明治26年には札幌興農園を創設した人物ですが、種苗や農機具販売をするなかで、純粋に社会貢献を図ったものなのか、販売のための見本園を作ったものかは分かりませんが、実質的には大通花壇の嚆矢となったものといえるでしょう。

当時の札幌区が、東京市の造園技師である長岡安平に円山と中島の公園設計を依頼したのは明治40年ですが、大通については42年に樹木植栽設計を依頼しています。これは下地である芝生や園路については、既にある程度形ができていたことを窺わせるものかもしれません。

当時の大通には、既に明治32年に偕楽園にあった開拓紀念碑を6丁目に移設し、ケヤキを植えて小公園としています。明治36年には、北海道開拓に貢献のあった黒田清隆伯銅像が7丁目に建立されていました。さらに明治42年には、3丁目に永山武四郎将軍銅像が建てられ、国威発揚が求められた時代の中心的広場としての大通公園の姿が完成していったようです。


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監修:(有)緑花計画 笠康三郎

(参考:「さっぽろ・大通」札幌の歴史を楽しむ会、新北海道教育新報社、1981)

目次一覧

  1. 大通公園の歴史と植物トップ
  2. 札幌の町の誕生
  3. 火防線から後志通、そして大通
  4. 大通(後志通の土地利用の変化
  5. 鯨の森
  6. 豊平館の誕生
  7. 豊平館のなごり
  8. 大通花壇史(その1)
  9. 大通花壇史(その2)
  10. 大通花壇史(その3)